コラム
【コラム】ゲームに接続される「私」――ポケモンGOを出発点に
左の写真は、1955年にアンドレアス・ファイニンガーが撮影した『フォト・ジャーナリスト』という作品です。ただカメラを構えているだけの人が写されたポートレートですが、その容貌はサイボーグのようで、人間と機械の融合を思わせます。
この写真をもとに「人間はメディアによってつくり変えられる」というワードをもう一度想起すると、わかりやすいのではないでしょうか。現在の想像力でいえば、映画『マトリックス』シリーズや『攻殻機動隊』、アニメ『デジモンアドベンチャー』などの世界観が、このマクルーハンの主張とつながりを持っているといえるかと思います。
さて、ここで話をゲームに戻します。今まで画面の中のみで成立していたゲームのフィクション世界が、新たなテクノロジー、そして発想によって、その形を変えようとしています。その最たる例が今回リリースされた「ポケモンGO」に見られるような予感がするのです。
ゲームと人間の接続についての議論
私たちがゲームを行っているとき、私たちはどのような体験をしているのか。そのような議論は様々な場所で展開されています。二松學舍大学 准教授の松本健太郎は、プレイヤーがゲームに没入するとき、彼らは何者になっているのか?ということについて、以下のように論じています。
私たちがテレビゲームに没入しているとき、私たちは何者になっているのだろうか。ジャンルにもよるが、そのプレイ中にあなたが興奮したり、感動したり、悔しがったりするとき、言いかえれば、あなたが個々のゲーム作品に没頭しながらその世界を生きるとき、どのような現象が起きているのだろうか。それは「感情移入」とも呼ぶこともできるかもしれないし、主人公との「同一視」とも呼べるかもしれない。
[ 中略 ]
(テレビゲームを)プレイするときに、私たちの身体はその感覚の自由を制限されるわけではなく、また他の行為に差し向けられているわけでもない。むしろテレビゲームの需要に特徴的なのは、身体がコントローラを経由して仮想現実に接続されている、ということである。つまり、プレイヤーの身体感覚と作品世界のあいだに、単なる視覚的・光学的な媒介物(/メディア)だけでなく、コントローラという物理的・技術的な紐帯が介在しているのだ。
– 引用元:池田理知子・松本健太郎 編著『メディア・コミュニケーション論』第5章「仮想現実における「私」」(2010) ナカニシヤ出版
このなかで語られることは、プレイヤーが操作するキャラクターはプレイヤーの「代理行為者」であり、彼らを操作することによってプレイヤーは作品世界を疑似体験する、ということであり、需要になってくるポイントとして、操作をする「ゲームに接続された私」と、ゲーム内に存在する「表象される私」の関係性が重要である、としています。
コントローラを介してゲームに接続されたプレイヤーと、その操作に基づいて行動を起こすキャラクターの身体・精神が同期されることで、ゲームのなかにプレイヤーの居場所が生まれ、画面内に展開されるフィクションの世界をより楽しめるものになっている、ということです。さて、このことを考えた時に、「ポケモンGO」はどのようにとらえることができるのでしょうか。
ポケモンGOとプレイヤーの接続
従来のゲームは、「代理行為者」の身体は画面上に描写されることがほとんどであり、ゲーム内にいる「代理行為者」とプレイヤーはイコールで結ばれる存在ではなかった、と思います。しかしながら、ポケモンGOではそもそも「代理行為者」の存在がきわめて曖昧であるのではないか、という疑問が湧いてきます。
自らの足で現実世界を移動してポケモンを発見し、画面に映ったポケモンをタップしてモンスターボールを投げ捕獲する作業は、むしろこの世界そのものがゲームの虚構世界と同期されていて、いままで画面越しに見ていた世界が現実になっていたかのような錯覚に陥るのです。
もちろん、ポケモンGOの中にも、アバターは存在します。男性/女性を自らの意志で選択することができ、その見た目はプレイヤーとは全く関係のない人物であるかもしれません。
しかし、ポケモンGOにおいては、ゲーム内のキャラクターの身体そのものはゲーム性に影響を及ぼすことはなく、むしろそれよりも大切なのは自らの意志で外に出て歩きポケモンを見つけること、さらにはゲーム内にいるキャラクターのセリフを読むことではなく、友達や攻略サイトなどでのポケモンの出現情報を自ら求め、コミュニケーションによってその情報を獲得することが、ポケモンGOにとって重要なポイントとなるのです。
つまり、いままでコントローラを媒介に接続されていたゲームと人間は、今やゲームの世界に接続する際に、コントローラを必要としなくなったのです。その代わりとなるものはインターネット通信、GPS機能などの不可視な存在であり、従来の虚構/現実、フィクション/ノンフィクションの境界がきわめて曖昧となった、ゲームの新しい形といってよいのではないでしょうか。
結びに
ここでは言及することはできませんでしたが、VRでのゲームとプレイヤーとの接続についても、おいおい考えていけるような記事も書けたらな、と思っています。
ポケモンGOとVRの存在はかなり対局的な位置にあると思っていて、現実世界に虚構世界を溶け込ませたようなポケモンGOと、よりプレイヤーを現実とはかけ離れた虚構世界に連れていくVRがこの同時代にリリースされることは、ゲームの新しい時代が多方向に開拓されていく前触れなのかなと思います。
この異なる2つのサービスによって、今までわたしたちの中で形作られていたゲームという存在の輪郭が溶け出し、今までとは全く違ったゲームのイメージが生まれていくのかもしれません。
プレイヤーがゲームに接続することで、プレイヤーはそのゲーム内で重要視されるルールを前提にすべての人、物とコミュニケーションを行うこととなります。どこまでがポケモンGOで、どこまでが現実世界なのか。様々な懸念もなされていますが、それらの根源的な問題意識は、このコラムの中にも考えられるポイントがあるのではないでしょうか。
果恵
本業は文系ゲーム研究者。いろんなゲームをやっています。『Project DIVA Arcade』を中心にイベンターとしても活動中!
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